がん患者は行く
Globalなつながりを求めて
生命のオアシスギリシャ・トルコ篇
11月22日(火)
病院講堂にて開催された
飛行船ホスピタル号:弐の巻
がん患者の旅を
スライドを通して
患者と
ドクター(高島勉先生)
の トークショーで綴る
イベントの
タイトルである。
何故ギリシャ・トルコ
なのか。
生命のオアシスは沢山ある。
余程の人でない限り
旅の嫌いな人はいないと思う。
「旅は私を王様にしてくれる」と、
どこの国の話か忘れたが、
出会った旅人が
言っていたのを思い出す。
旅人にとって
感動を受けた場所は
すべて生命のオアシスに違いない。
私はがん患者、
しかも短いと思われた命を8年も生きながらえた。
そんな私にとって
旅するところはすべて生命のオアシスになる。
私は文学部出身では
ないが、語学が
大好きだ。
たいして上手く
話せるわけではない。
けれど
語学は文化に通ずる。
語学を通して
その国の文化に
触れることが出来る。
今まで世界のいろいろなところを旅してきた。
旅する国の人々と触れ合い、
その国を自分なりに体現するのは心ときめく出来事だ。
もちろん旅した国の辛い現実にも出会うことはある。
でもその現実は私という人間の生きる闘志となって
私を強めてくれたように思う。
旅を通して私はいろいろなことを学んだ。
そのために語学を学んできたとも言えるのかもしれない。
もちろん限りがあるし、どれも中途半端であるが・・・
「外国にいるときの私は別人のようだ」と主人によく言われた。
その私が
余命に限りがあるかもしれない「がん」になった。
「旅が出来なくなるな」と、寂しく思った。
孫の成長が見られない、に次いで頭をよぎったような気がする。
♪ ~ ♪ ~ ♪ ~ ♪ ~ ♪ ~ ♪ ~
沢木耕太郎の深夜特急に魅せられた時代があった。
あんな旅を私もしてみたい。
主婦の私にとっては夢のまた夢だったが、
どうせ命がないのなら実行しておけば良かったと悔やんだりもした。
がんになって6カ月を過ぎた頃、
未だ抗がん剤治療中(タキソール)だったが、
義姉がハワイに行かないかと誘ってくれた。
私の余命に同情してくれたのかもしれないが、
迷わず行くことに決めた。
抗がん剤を休み、
鬘(かつら)を付け、
左胸は
まだ「かさぶた」だらけ
でも
気にならなかった。
旅の支度に
胸が弾んだのを
覚えている。
後は野となれ山となれ!
夕暮れに海に入った。
日中は陽が強すぎるからだ。
ダイアモンドヘッドが見える三日月形の海の中で、
「私は生きている。生きよう」と思った。
帰国後はじかれたように活動を開始した。
命ある限り生き続けよう!同じような仲間達と助け合って。
外国にも沢山の仲間達がいる。手をつなごう。
私の旅に新たな目的が追加された。
シンガポール、韓国、台湾、インド、オーストラリア、
スウェーデン、フィンランド、バルト三国、ハンガリー、
ブタペスト、チェコ、モロッコ、ポルトガル、ギリシャ、トルコ。
外国でのがん患者の大会に参加しつつ歩いた国々だ。
どの旅もこれが最後かなと思いつつ、
それぞれ私の心に深く焼き付いている。
ギリシャ・トルコは中でも印象深い。
旅の疲れから私は患者大会2日目で歩けなくなった。
右足の靭帯が伸びてしまったのだ。
ギリシャのドクターに診てもらった。
大会はまだ2日残っているし、このあとトルコへ旅立つ予定だった。
(どうしよう)同行の娘と思案した。
ボルタレンの塗り薬・ぐるぐる巻きの包帯・松葉杖で歩ける。
私のステージ(がんの進行度)を知ったドクターは
「是非行ってください、松葉杖で十分旅できるから」と
強く私の背中を押してくれた。
その言葉で行こうと決めた。
折角ここまで来たのに
私も
あきらめたくなかった。
あとは
野となれ山となれ!
それから約1週間
トルコを満喫して
無事帰国した。
帰国後も
しばらく松葉杖のお世話にはなったが。
トルコは私にとって第2の故郷と
いってもいいくらい係わってきた国だ。
その縁で『四つ葉のクローバー』
・広島のぞみの会
・沼津オリーブの会・
・小倉恒子先生
・ぎんなん
主催の、乳がん患者アジア大会に
トルコからも参加してもらい、
参加者が会場で自国の患者会
「ピンクパワ」ーを立ち上げもした。
1年後イスタンブルでの開催を約束し、
高島先生はじめ数名の患者がトルコ行きを果たした。
Globalなつながりを求めて。
話だしたらきりがない。
まだまだ話したいことは山程あるが、
紙面の都合上
この辺でおしまいにしなくては。
ということで、来年英国、
2013年春は南アのヨハネスブルグを予定している。
大腿骨へ転移があればあきらめる?
あきらめたくはない。どうなることか?
ぎんなん 辻 恵美子
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